私とオーディオの出会い


最初は小学校の時に使っていた、家のポータブル電蓄だと思います。EP盤サイズのターンテーブルで、LPも掛けられる様になっていて、スピーカーも内蔵さ れているタイプ。これでレコードを聴いていたのを覚えています。二階の窓際で弟と一緒に聴いていて、何かの拍子で弟が地面に落ちてしまい大変な騒ぎになっ た事もありました… 地元のラジオ局からクイズか何かに答えて貰ったLPレコードをすり切れる迄聴いてました。

中学のころ(1976〜1979)
 
クーガーNO.7 中学校の頃は丁度ラジカセや、オーディオが流行り始めた頃でした。ゴミ捨て場からカセットテープレコーダーを拾って来て分解した事を覚えています。その後 モノラルラジカセを買って貰い、テレビの音楽をマイクで録音したりしてました。あのころはケーブルで繋ぐ事を知らなかったからな… と言うかラインイン端 子が無かったと思う。最初の録音したカセットは未だ保管してます。「長崎はんか帳のENDINGテーマ」〜長い坂道を、歩いて行くんです〜ってのが好きで したね…(^^; 最近CSで再放送しているので懐かしいです。
 その後これまた当時流行っていたBCL用のラジオ”ナショナル クーガーNO.7”を購入。本当はソニースカイセンサーが欲しかったけど高かったのよね。 (BCLラジオを集められている人のHPはこちら) これはアンテナがポップアップしてヘリコプターの様に回転する物だった(現存)。しかし取り説によるとマイクを繋いで拡声器として使いましょうなどと書い てあった。BCLラジオとしての立場は一体・・・ 世界の短波放送を聴いて受信報告を送ってベリカードを貰おう!ってのが当時は流行でした。私も一回送っ たけど貰えませんでしたっけ…
ZILBA'P TPR-830
   その後ステレオラジカセブーム。SONYの ZILBA'Pと 言うステレオラジカセを購入。派手なテレビCMと立派そうな外観からソニーのジルバップを買った。ジルバップを選んだ理由は、カセットがゆっくりイジェク トする高級感、ボリュームメーター、整然と並んだパネルレイアウト等の格好良さと、やはりCMの影響があったと思う。コピーは”ジルバを踊ろう、ジルバッ プ”だった。CMソングは何故かビリー・ジョエルのストレンジャー。ジルバじゃ無いのか?(^^; ZILBA'Pはつい最近迄保管していたが、動かなくなったので捨ててしまった。今の様にオークションやり始める前だったので今考えると惜しい事をした…
もう一台、欲しかったAIWAのラジカセがあった。こちらの機種は「プレイヤーがつなげる」「マニアックな機能が満載」「短波も受信可能」等の特長があ り、かなり意欲的なラジカセだった。最近インターネットを検索して、久しぶりにその機種の写真を見る事が出来ました。その機種はAIWAのTPR-830と言う機種。久しぶりに見るとカタログを穴の開くほど眺めていたあのころの気持ちが蘇る気がします…オークションで見つける事が出来たら、保護したいもんですなあ。

 その頃はオーディオの自作ブームで近くのホームセンターにすらスピーカーとか吸音材とか自作アンプキットなんてのが並んでいた!確かラジオシャックと言 うメーカーの物でラインナップも豊富、見ていると楽しくなるカタログもあったナア。。スピーカーユニットやエンクロージャーのキット等揃っていたので、ス ピーカーの自作も部品を購入して組み立てるだけで済んだ。16センチフルレンジ+ツイーターの2WAYスピーカーを自作した。まあ、音はそれなりだった が。このとき自作した箱は今は実家でビデオの台になっています。

高校のころ(1979〜1982)
中学の友人で近所のお寺の住職の息子Iの家に遊びに行って聴かせて貰ったステレオシステム(SPがDIATONEのDS-30Bか35Bだったと思う)に触発され、ステレオが欲しくなったんだか、その前に買ったんだか忘れましたがステレオを買いました。
TA-F5
 ヤマハのアンプCAシリーズとかONKYOのINTEGRAシリーズアンプの端正なフロントパネルのモデルにも惹かれたし、SONYのTA-F5のパル ス電源アンプのツインメーターにも惹かれたが結局無骨なブラックパネルの山水AU-D607(現存)を購入した。この頃はアンプは山水、スピーカーはダイ ヤトーン、プレイヤーはデンオン、チューナーはTRIOが代表選手だったからね。あとパイオニアのシステムコンポPROJECTシリーズも流行した。縦型 のシステムラックに組み込まれたシスコンは格好良かったっす。 この頃の秋葉原
購入したのは
プリメインアンプ;サンスイ AU-D607  *先日実家に戻ってアンプの掃除をしました。そのときの写真はこちら。
プレイヤー;TRIO KP-5050
カセットデッキ;ビクター KD-A5
スピーカー;自作 FOSTEX FW-160 + FT-30Dの2WAY

チューナー;中古でソニーのAM/FMアナログチューナーを購入。
KP-5050 KD-A5
プレイヤーはデンオンとソニーで悩んだが、重量が重いTRIOに。スピーカーはFOSTEXのユニットを使って自作。当時別冊FMファンと言う雑誌に長岡 鉄男と言う人がスピーカー自作記事を連載していて、その中で目に留まった小型2WAYブックシェルフSPを作成した。始めて買ったFOSTEXのユニット はずしりと重く”スピーカーを買うより安く、こんな良いユニットを使える。スピーカーは自作に限る!”などと思っていた。この頃も田舎でもスピーカーユ ニットやネットワーク部品が地元で購入出来た。今や電子部品ですら売っている店が無いが…
X-10R その後憧れのオープンリールデッキを購入した。当時カセットにメタルテープが出て、それに対抗する為オープンリールでEEポジション(クロームテープ)が発表された。それで型落ち品として安売り(と言っても10万円!)されていたTEAC X-10Rを購入。
リールがゆっくり回るオープンリールデッキには以前から憧れていたのだ。(^^; 実際音の方もカセットとは一線を画すダイナミックレンジで大いに満足。
この頃の音楽ソースは専らレンタルレコードとFM放送。LPレコードが一晩3〜4百円位でレンタル出来て、レンタルショップが沢山有った。借りてきてはカ セットにダビングして聴いてました。FMエアチェックもFM雑誌を隔週で購入して番組表をチェック、取りたい番組が有るときは、このころはタイマーはあっ たけど、オートリバースは無かったので放送時間にステレオの前に陣取って録音してました。このころ録音したテープは未だ手元にあるけど、今聴いてもなかな か懐かしいです。

オープンリールは値段が高かったので余り買えなかったけど、当時FMでやっていた「ビートルズ全曲一挙放送」を部屋にこもって録音しました。これは10号 リールに19cm/sで2本、計12時間かな?掛かったけどなかなか良かったです。オープンリールの早送りって迫力があって良かったなあ。
このころスネークマンショーで痛い思いでが… X-10Rは就職して上京後も持ってきていたが、置く場所が無くて会社のゴミ捨て場に捨ててしまった。これも今考えると惜しい事をした… オークションで結構高く売れてるんだよねえ。

CDプレイヤーが発売されたのはこの後の話。発売当初は機械の値段が高くてとても手が出なかったが、ソニーのD50が発売されて一挙に普及した。この頃のソニーは良い機械を出していたよなあ… CDを始めて聴いた時にはアナログレコードにはあったスクラッチノイズやヒスノイズが全く無く、無音状態から急に音が出てくるのでビックリしたものだった。
D-50
大学のころ(1982〜1986)
 興味の対象がビデオ関係に移り、オーディオの更新はほぼ停止。SPマトリックスサラウンドを試した後テクニクスのサラウンドプロセッサを購入し、簡易プロジェクターでホームシアターもどきを楽しんだりした。
CD/LDコンパチプレイヤー、PIONEER CLD-9000を購入した。この機種はCD/LDコンパチの最初の機種で非常に大きく重さも20キロ位ある。電源ケーブルも太くてそのせいかCDの音にも定評があり、兄が購入したSONY D-50と聴き比べた所低音が良く出ていてかなり良く、当時はデジタルだからどのCDプレイヤーでも音は変わらないと言われていたが、間違いだと判った。その後弟がVICTORのCDPを購入した。
この頃はバイトや秘密の行商?(^^; で得た小遣いを殆どビデオ機器に費やしていた。今やとても20万円のビデオ機器なんて買う気にならないが、この当時は半年毎位に購入していたぞ。オーディオ関係はこの後ネットオークションを始めてジャンクオーディオ熱が再燃する迄長い休止期間に入るのであった・・・